神 戸・関 西 旅 行

 
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(2004年7月16日〜19日、写真は全て同期間内)

第2日目(その2)(2004.7.17)

江坂を出発した後は、そのまま御堂筋線淀屋橋から京阪電鉄で京都丹波橋へと向かう。今日は京都祇園祭であり、先ほどの阪急電鉄でもそうだったが、浴衣姿の女性を見かける。というわけで、京都中心部まででかけるのは避け、ついに、長距離移動となった。

それにしても、京阪電鉄は2階建てのデラックス車両で、特急とはなっているものの、これで特別料金不要とは恐れ入る。当然車内2階部も満席になるが、かずまるは寝転がっている。枚方を過ぎると、山崎地峡へと向かう。淀川をはさんでね先ほど上牧から見た風景が見える。中書島では鉄道模型の書籍、シーナリー関係書でモデルとなった駅である。このようなことではまり込むファンは多い。例えばYoshikenさんは、同雑誌のモジュールで「南小谷」をモデルにした模型を見て南小谷に憧れたと言うが、私は昭和56年の時刻表の表紙に同駅が出ていることもあって、春に同駅を訪れた。

さて、丹波橋からは近鉄で大和八木をめざす。ここからは料金不要列車では時間がかかりすぎると言うことで、有料特急の乗り継ぎとなる。私鉄の場合、特別料金を必要とする列車は全席指定席でなければならなくなっている。国鉄でも、昔は特急と急行では根本が違っているようで、特急は本来全車指定席であった。それが、L特急と称して自由席を設けるようになった。だから昭和50年代の時刻表では「自由席○両」という表記があった。今でも特急は指定席料金を含む料金表記が一応あるが、急行料金は自由席料金の表記となっている。国鉄の場合は何らかの規則の改正がなされたものだと考える。

この特急は賢島行きで、大和八木で難波発の特急と併結するため、なんとABCD号車の表記となっており、我々はC号車である。JRならば多分11、12・・・号車とするのであろう。

JR片町線(学研都市線)と交差し、大和西大寺を過ぎ、田原本という近鉄駅とは駅で直接つながってなく、連絡線だけで結ばれている駅を過ぎ、新ノ口からは特急だけが通る短絡線を通って大和八木に到着する。

大和八木からは、わずか3分の連絡で近鉄上本町行き特急に乗車する。あわてていたので喫煙席を取ってしまったが、まあたいしたことはない。さて、本当は時間があれば、近鉄堅下から道明寺線乗り換えも考えており、大和川を挟んで通過する。

というところで、突如携帯電話が鳴る。なんと、学生時代の同級生T君(「かずまるの自己主張」2004.07.12参考)であった。彼の自宅の最寄の駅は弥刀である。つまり、あと数分で最寄り駅を通過する。「今どこやねん」という彼の問いに、ものすごい偶然性を感じずに入られなかった。彼によると久々に私のサイトを見て、そのトップページに「関西方面旅行」とあったので、電話をしてみたのだろう。結果、明日の午前中に会うことにしたが、子供が3人もいる関係で、結局会えなかった。今度行くときはぜひ再会できるプランを立てようと思う。

上本町に到着して、阪堺電鉄をめざすが、すでに時刻は16時30分を過ぎている。妻との待ち合わせまで、すでに1時間を切っている。しかたなく、阪堺電鉄は駅で見るだけになってしまった。この写真の505号機は「帝国車両工業(現東急車輛)」製造となっている。つまり、伊予鉄道ではモハ70番台(70〜78号機)と同形式と考えてよいのかもしれない。

その後は日本橋にある鉄道模型店でようやくかずまるの機嫌をとって、難波で妻と再会する。5人で夕食をとって、難波で泉州人さんと別れて、三宮でYoshikenさんと別れ、長かった一日が終わる。

第3日目(2004.7.18)

いよいよ今回の旅行も最終日となる。今日も午前中、妻が昨日会えなかった友人と会うと言うことで、我々は大阪弁天町の「交通科学博物館」へ出かける。

阪急三宮から特急で尼崎へ、そこから西九条へと向かう。尼崎では階段を駆け上がると、待ってくれていたようで、すぐにドアが閉まる。ちょうど近鉄線との連絡線敷設らしい工事が行われており、尼崎〜大物間は単線になっている。この線は神戸からUSJへの路線として大々的に広告が出ているが、どうもそちらへ向かう客は少ないようである。

西九条では、桜島線を走るUSJのラッピング電車を見て、西九条の中線に入ってくる関西空港行き特急「はるか」を見て、弁天町へと向かう。この区間はJRなので運賃を払わなければならないが、野田〜阿波座を経由するよりは早く着く。ともかく、午前中といっても、このまま行っても交通科学博物館では1時間30分しかいられない。

交通科学博物館では、かずまるはさっそく電車の運転台と鉄道模型運転を見て、すでに45分以上が過ぎる。今日はぜひ北口の特別展示室を見てみたい。というわけで、長い通路、というより、なんでここまで?という通路を抜けたところに、DD13とDF50、そしてDD54の静態保存が展示されていた。が、かずまるはその脇にある踏み切りの操作盤をいじるほうが楽しそうで、屋内にある外国の模型や車窓の映画は一切興味がないようであった。

12時30分、いよいよ出発をしなければならない時刻になる。弁天町のホームに立ったとき、Yoshikenさんから電話が入る。今日姫路のホームで待っていてくれるそうだ。大変ありがたいことである。

本町で御堂筋線に乗り換え、そのまま新大阪へと到着する。妻に電話をすると、「野田」という言葉とともに通話が切れた。地下に入ったようで、まもなく梅田に到着するようだ。かずまるが珍しく腹減った、というので、サンドイッチを買って、そのままホームで待つ。

新大阪で色々と土産を買っていると、もう出発まで10分を切る。あわててホームに駆け上がると、まもなく「ひかりレールスター」が21番線に入線してくる。

が、「ひかりレールスター」の指定席は2+2シートであると聞いていたのに、座席のセンターアームレストは取り外しができない。これではへたなシートよりも使いにくい。仕方なく、かずまるが疲れるまでアームレストの上に座らせることにした。

姫路までの所要時間は約30分弱。Yoshikenさんは反対側のホームで待っていてくれたが、ちょうど電車が入っていて、すぐには見つけられず、我々は気づいたものの、かずまるは気づかずしまいであったのが残念であった。

岡山を過ぎると、さすがにかずまるが疲れたたと言う。次の停車駅で下車をするので、斜前にあいている座席に私が移動する。1時間10分が大変短かった。

福山では、少々新幹線を見て、高速バスで帰る。岡山から8000系電車に乗車した場合、座席が満員であれば、さきほどよりも狭い席で3人が座ることになる。このため、今年に限っては高速バスを利用することにした。これらのバスはたいていすいている。かずまるをどこに座らせても問題はないであろう。と思っていたのだが、なんと福山〜松山間のバスが6月から40分早くなって、先ほどの電車では間に合わなくなった。3月の時刻表を見て決めた私の不覚であった。

しかたなく、15時45分発の今治行きバスに乗る。今治着は17時23分、17Mとは10分しかない。バスはさっそうと出発していったが、すぐに国道2号線の渋滞に巻き込まれる。が、少々寝いている間にバスはまもなく生口島大橋を渡るところである。バスは快適に走っている。かずまるも寝ている。多島を見せようとしていたのだが、計算ハズレである。大三島バスストップで下車客がないことを確認して通過する。ゆく考えたら、ここから先は乗車はできない。これで17M接続に光が見えてきた。

が、伯方島バスストップで2名が下車。バスはインターチェンジを下りていく。5分のロスは大きい。吉海町役場前通過が17時10分、馬島バスストップが17時15分、あと15分であそこまでいけるのか?と、すでに線路と並行する場所で下車準備をする。538Mは定刻のようだ。あとは、浅川で渋滞がなければ・・・ない!やった、というところで、なんでもないところで信号にひっかかる。結局今治駅到着は17時28分。ぎりぎりだが、もう間に合う。階段を上がるところで、駆け上がろうとするかずまるを制する。もう走る必要もない。

結局17Mはほぼ定刻に松山へ到着する。我々は駅前の最近できた店でうどんを食べる。1時間ほどたって、今タクシーに乗ったら19Mの下車客で混むだろうなと思っていると、なんだか様子がおかしい。観音寺〜豊浜間踏切事故という表示が流れる。駅では19Mは運転打ち切りで、出迎えの人は次の21Dを待てという。1032Mは松山の予備L編成5連で定刻に出発する。最後の最後で、運に見放されなかったと思ったのであった。(2004.07.19)

 

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