愛 媛 の 散 策

 

城 下 コ ー ス

 
> 愛媛の散策へ > 松山の俳句・歴史・風土へ > 俳句の世界へ
 

以前の城下コースへ >>

 

(地図をクリックすると拡大します。)

 

城 下 コ ー ス (5回目・最終章)

(行った順に掲載しています。全て2003.11.08撮影)

いよいよ、「城下コース」最終章。先日行けなかったところを再度まわる。

45番:浮雲やまた降雪の少しつゝ(栗田樗堂題)松山市味酒町3丁目(阿沼美神社)

44番:さまさまの事おもひ出す桜かな(松尾はせを)松山市味酒町3丁目(阿沼美神社)

41番:石鎚も南瓜の花も大いなり(富安風生)松山市大手町2丁目(JR松山駅前南側)

42番:春や昔十五万石の城下哉(正岡子規)松山市大手町2丁目(JR松山駅前)

なにを知らずとも、42番の俳句は以前の私でさえ知っていた有名な句。そして、47箇所全ての最終場所が、やはりJR松山駅であった。

以上、城下コース前47箇所終了!

 

城 下 コ ー ス (4回目)

(行った順に掲載しています。全て2003.11.03撮影)

城下コース最終章のはずが、朝からの雨のため、出発が15時40分となってしまった。しかも、出発直後に再び雨が降り始め、近くの本屋で待機していたところ、15分遅れのバスが通り過ぎる。通常ならばここで帰るのであろうが、雨のやんだ16時20分頃徒歩で萱町6丁目に向かう。だが、最終的には全てのポイントを回ったのだが、日没により阿沼美神社2箇所とJR松山駅前2箇所の計4箇所が撮影されておらず、再度回りなおすことになった。

47番:三津口を又一人行く袷哉(正岡子規)松山市萱町6丁目(松山市保険センター前)

46番:萱町や裏へまはれば青簾(正岡子規)松山市萱町4丁目(大三島神社)

43番、44番阿沼美神社は43番側が逆光になって撮影できず。

43番:庚申庵(こうしんあん)松山市味酒町2丁目

41番、42番JR松山駅は日没によりタイムアップ。

 

城 下 コ ー ス (3回目)

(行った順に掲載しています。全て2003.10.25撮影)

1番:さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ(河東碧梧桐)松山市二番町4丁目(市役所前)
よく通る場所だが、ようやく1番にやってきた。

2番:わかるゝや一鳥啼て雲に入る(夏目漱石)松山市一番町4丁目(NTT前)
夏目漱石は明治28年この場所にあった松山中学校で英語を教えた。そして小説「坊っち
ゃん」の舞台となった。ただ、小説の中では学校から下宿へ帰る途中に散歩をして「・・・県
庁も見た。古い前世紀の建築である。・・・」とあるが、本当ならば少々描写が違うのでは?

3番:松風会ゆかりの松山市立高等小学校跡、松山市二番町4丁目(番町小学校)

4番:夏目漱石ゆかりの旅館「きどや」、松山市二番町4丁目
小説「坊っちゃん」で主人公が最初に泊った「山城屋」のモデルとなった旅館。夏目漱石も
この宿屋に泊まっているから、やはり坊っちゃんは坊っちゃん列車で現在の松山市駅に
降り立って、一度現在のNTTにある学校へ行ってからここへ来たことになる。

5番:河東碧梧桐誕生地(静渓邸の跡) 松山市三番町4丁目

6番:大原観山(おおはらかんざん)邸跡、松山市三番町3丁目
この奥のブティックで妻はしばし買い物を・・・

7番:夏目漱石寓居・愚陀仏庵の跡松山市二番町3丁目(料亭天平前)
午後1時になって、この後昼食タイム!

10番:夏目漱石の書簡碑松山市一番町3丁目(萬翠荘入口)
11番:夏目漱石ゆかりの愛松亭跡(萬翠荘入口)
この2つの碑は地図とは違う位置にあった。

8番:城山や筍のびし垣の上(柳原極堂)松山市一番町3丁目(萬翠荘への途中)

9番:なつかしき父の故郷月もよし(高浜年尾)松山市一番町3丁目(萬翠荘への途中)
この後初めて萬翠荘へ行った。身障者用トイレが整備されているが、そこへ行くのに急
な階段を下る必要があるというのはいかがなものだろうか、とも思った。

12番:秋晴の城山を見てまづ嬉し(今井つる女)松山市一番町3丁目(萬翠荘の裏山)
妻が「この唄ならよく解る」と言っていた。お茶の席も設けられていた。

13番:風ひそひそ柿の葉落としゆく月夜(野村朱燐洞)松山市喜与町2丁目(三宝寺)
この三宝寺の場所を探すのにひと苦労。かなりの労力を使ってしまった。
ちょうど愛媛大学の学園祭で「くまのぷーさん」のぬいぐるみ一行と出会った。

14番:牛行くや毘沙門阪の秋の暮(正岡子規)松山市大街道3丁目(東雲神社下三叉路)
ロープウェイ街はちょうどトランジットモールの社会実験中

15番:遠山に日の当りたる枯野哉(高浜虚子)松山市丸之内(東雲神社)
最後の階段が待っていた。

16番:東雲のほがらほがらと初桜七十九(内藤鳴雪)松山市丸之内(東雲神社)

40番:正岡子規誕生地松山市花園町(電車通西側)
今回の旅最後の碑

このページのトップへ >>

inserted by FC2 system