愛 媛 の 散 策

道後村めぐり・2007年春〜夏・春編

 
> 愛媛の散策へ > 松山の俳句・歴史・風土へ > 道後村めぐりへ 
 

  2007年夏編へ

今年の夏休みはスキあらば自由研究にしてやろうか?

 

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(スタンプ帳を紛失して再敢行)

(撮影は特に記載がなければ全て出撃日)

第4部 5月26日午後2時〜午後4時

 

30番:春光や三百年の城の景(酒井黙禅)

句碑は松山市祝谷5丁目道後公民館祝谷分館にある。正岡子規の句から変更された。今回は、バスで道後平ニュータウンまでバスで行って、そこから歩いて降りるという軟弱コースへ。

 

29番常信寺:色鳥のいろこぼれけりむら紅葉(黒田青菱)

松山藩主が鬼門の鎮護のために建てた天台宗の寺。以前同様、本日もトイレに行かせていただきました。ちなみに、ここの住職さんは音楽活動の方でも活躍をされており、その手のポスターが多く張られている。

 

28番松山神社:しろ山の鶯来鳴く士族町(高浜虚子)

菅原道真を祀る社と徳川家康を祀る東照宮を合わせた神社。この句碑めぐりも色々な思い出があったものである。

 

3番鷺谷墓地:降る雪や明治は遠くなりにけり

俳句の作者中村草田男や秋山好古らが眠っている。といっても、かずくん倶楽部は墓地散策はやめたんですけど・・・まあ、入口でよかったか。

ちなみに、この碑、かつて国鉄時代、東海道新幹線の命名時には「はやて」は「疾風」と書き、速いことは速いが、疫病のイメージもあって採用されなかったというのに、東北新幹線八戸延伸時には、一般投票18位だった「はやて」が採用された。このときに、そのスジの掲示板で「降る雪や昭和は遠くなりにけり」と書き込んだ人がいた。

 

1番道後温泉本館:伊予の湯に汀にたてる霊の石これそ神代のしるし成ける(古歌)

句碑は道後温泉本館の北側隅にあり、案外見落としやすい位置にある。この横断歩道は常に車と人と往来が激しく、自動車を本館の東側(向こう側)に通して、この道は歩行者専用道になってよくなった。

 

2番椿湯:日月照於上而不私神井出於下無不給(聖徳太子)

伊予国風土記逸文の中でこの聖徳太子の碑文のことが記されており、日本最古の金石文といわれているが、まだ発見されていない。

 

13番放生園:春風やふね伊予に寄りて道後の湯(柳原極堂)

からくり時計はかつての1億円ばらまき政策として造られたもの。各地悲劇、喜劇がある中で、さすがは松山市、堅実なものを造ったものである。現在付近は工事中でスタンプの場所も変更されている。句碑は足湯の右手。

 

12番道後温泉駅:古町木屋町打ち過ぎて行けば道後の温泉場(大和田建樹)

伊予鉄道道後温泉駅、詩をよくよくみれば、これはかつての城北線そのまんまである。木屋町からは千秋寺口を通って、まっすぐ道後温泉へと向かっていたのが、当時の道後鉄道である。

 

スタンプ帳紛失により、以下は再度回ります!

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(撮影は特に記載がなければ全て出撃日)

第3部 3月25日午後3時半〜午後5時

 

22番一草庵:鉄鉢の中にも霰(種田山頭火)

句碑は敷地内にある。今日もここで県外ナンバーのタクシーに場所を聞かれた。それぐらい有名な場所ではあるが、ここだけに固執すると、失望するだけなのかもしれない。そして、私もここで一句詠んだ。「鉄体の外は霰耐えがたし」、今日は暖かかったが、このモデルとなった坊っちゃん列車M車掌も今は運転士。

 

21番護国神社:熟田津に船乗りせんと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな(額田王)

句碑は護国神社というよりも、北西側の植物園にある。この植物園は非常に地味ではあるが、庭園と思えば、非常に優雅な場所である。

 

23番千秋寺:山本や寺は黄檗杉は秋(正岡子規)

句碑は寺内にある。「山本」は御幸寺山の麓のことであって、人の名ではない。御幸寺山へ登った帰りに寄ったら気分が出る。ここはトイレも整備されているが、今日もかずまるがお世話になった。

 

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(撮影は特に記載がなければ全て出撃日)

第2部 2月24日午後3時半〜午後4時

 

13番放生園:春風やふね伊予に寄りて道後の湯(柳原極堂)

からくり時計はかつての1億円ばらまき政策として造られたもの。各地悲劇、喜劇がある中で、さすがは松山市、堅実なものを造ったものである。現在付近は工事中でスタンプの場所も変更されている。句碑は足湯の右手。

 

12番道後温泉駅:古町木屋町打ち過ぎて行けば道後の温泉場(大和田建樹)

伊予鉄道道後温泉駅、詩をよくよくみれば、これはかつての城北線そのまんまである。木屋町からは千秋寺口を通って、まっすぐ道後温泉へと向かっていたのが、当時の道後鉄道である。

 

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(撮影は特に記載がなければ全て出撃日)

第1部 2月18日午後3時半〜午後5時半

 

27番天徳寺(十六日桜):つくしけん人のまことをにほはせてさくかむ月のはつさくらばな(西村清臣)

自宅から親子3人で自転車特攻隊。一昨年は2月20日に桜が咲いていた。昨年は咲いていなかった。十六日桜は旧暦1月16日に咲くからその名がある。今年は3月5日に当たるのだが、暖かいので行ってみた。結果は、十六日桜は咲いていなかったが、彼岸桜が1ヶ月早く咲いていた。で、一昨年の写真をよく見ると、咲いていたのは彼岸桜であった。うーむ。

 

句碑は実際には十六日桜伝説の本家、ロシア人墓地の前にある竜隠寺桜台との間にある孝子吉平邸跡にある。こちらも(当然ではあるのだが)咲いてはいなかった。

 

26番弘願寺:念ずれば花ひらく(坂村真民)

新句碑のうちのひとつ。だが、この句碑は「高木町高音寺」「南高井町ていれぎ名水の里取水場」「権現町県立盲老人ホーム権現荘」、さらには「今治市国分寺」にある。わざわざ、弘願寺がこの句碑を並べる必要は?おまけに、門前にはアンパンマンの石碑もあるし。句碑はスタンプの隣にある。

個人的には「念ずれば花ひらく」よりは「二度とない人生だから・・・」の方が好きである。長すぎて枠に入らんのだろうが。

 

25番長建寺:もりもりもりあかる雲へあゆむ(種田山頭火)

以前と句碑が変わった。ここは以前「よくみれば薺花(なずな)花咲くかきねかな」であった。かずまるに種田山頭火の句碑だけは教えられない。自由詩から五七五になっていない理由を問われたら、答えられない。

句碑はスタンプの隣にある。

 

24番来迎寺:永久眠る孝子ざくらのそのほとり(波多野二美)

「孝子」とは、「こし」と読む。女性の名前ではない。が、このお寺、最近建て替えられたのだが、どうも手入れは行き届いてないし、スタンプも子供の身長を考えていないし、イマイチよく判らん。

句碑は来迎寺北側のロシア人墓地にある。

 

このページのトップへ >>

inserted by FC2 system