愛 媛 の 散 策

道後村めぐり・2005年春

 
> 愛媛の散策へ > 松山の俳句・歴史・風土へ > 道後村めぐりへ 
 

今年は山歩きの年!散策の年!再びやってきました!

 

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(撮影は全て2005.05.05)

最終回 5月5日午前9時半〜午後1時

 

27番常信寺:松山藩主が鬼門の鎮護のために建てた天台宗の寺。ここのトイレは大変きれいである。道後村めぐりをしていて、このような場所に出会うと、大変うれしくなり、多分ここの住職さんはそういうところを大切にする人なのだなあ、と思う。

道後温泉駅前から8の字ループバス西循環線で祝谷下車。

 

 

26番松山神社:菅原道真を祀る社と徳川家康を祀る東照宮を合わせた神社。この神社の住職さんは大変気さくな人である。

 
 

10番東野御茶屋跡:松山藩主松平定行の隠居所跡。松山神社から徒歩で一度道後温泉駅前へ戻って、今度は8番線東野経由松山市駅方面バスで東野バス停下車徒歩約10分。ひとつだけ飛びぬけて離れている上に、結構登っている。東野バス停が標高約53mでそこから約30m登る。

 
 

8番岩堰:足立重信が岩を削って石手川を重信川に流す工事をした。なお、この橋はGW後工事で渡れなくなるらしい。間一髪の行軍。それにしても、その看板は一業者名で記載されているのだが、業者が勝手にできるのか?河川管理者の名前を掲載するのが普通だと思うが?

なお、このあたりは、手帳のとおりまともに行ったら大回り。ショートカットすべし。手帳では、7番石手寺〜8番岩堰〜9番へんろ橋〜10番東野御茶屋跡となっているが、実際にはバスで東野バス停下車して、10番東野御茶屋〜(ショートカットして)8番岩堰〜9番へんろ橋〜7番石手寺と行くべし。

 
 

9番へんろ橋:50番札所繁多寺とと51番札所石手寺をむすぶ遍路道。奇しくも2003年秋と同様、ここが最終チェックポイントとなった。(2005.05.05)

 

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(撮影は全て2005.04.17)

第3部 4月17日午後0時半〜午後2時

 

19番護国神社:護国の英霊等をまつった神社。が、その中に植物園があるということは意外に知られていない。

 
 

20番一草庵:漂泊の俳人種田三頭火が晩年に過ごした居所。が、マドンナバスのバス停にあるせいか、期待してくる人が多く、「これですか?」と聞かれてしまった。

 
 

21番千秋寺:中国の僧即非が開いた寺院。かつての道後鉄道にも千秋寺前という駅があったくらいであるから、相当有名な寺なのであろう。ちなみに、我々も昼食をよくとらせてもらったし、ここのトイレはきれいである。

 
 

22番来迎寺:前回は工事中で今回はこのとおり。「道後村めぐり」をしていて、押印スペース提供をしたくないのでは?と思う場所がある。工事が終わって、押印場所がかずまるの場合とても届かない場所に移動されてしまいました。

 
 

23番長建寺:旧城下の松前から移された寺。今回はいくら近づいても、さわっても動かない猫がいました。

 
 

24番十六日桜:天徳寺内にある。今年2月20日に咲いていた桜はこの裏にある。

 

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(撮影は全て2005.04.02)

第2部 4月2日午前11時〜午後1時半

 

28番瀬戸風峠:かつて松山から伊台や五明へ通じる交通の要衝。今回は伊台行きのバスで近くまで行って下るだけという手抜きをやってしまいました。

 
 

7番石手寺:奈良時代に国家領護の道場として建立された四国霊場51番札所。ここで妻と別れてかずまると2人になりました。

 
 

11番風土記の丘:石手寺から伊佐爾波神社へ続く小径。石手寺から実母の病院を経由して義安寺へいきました。

 
 

6番義安寺:豊臣秀吉の四国征伐で敗れた河野家の家臣が、本堂の側にある誓いの泉で自刃し、源氏蛍となったと言う伝説がある。

 

かずまる特攻隊が回った順に掲載しています。

(撮影は全て2005.03.26)

第1部 3月26日正午〜午後1時頃

 

5番伊佐爾波神社:湯築城の鎮守神として河野氏の崇敬を受けた。先週ここを通りかかると、結婚式らしい式典が催されていた。今回はユースホステル側からやってきたので、ここが出発点となりました。

 

 

4番宝厳寺:時宗の開祖一遍上人誕生地

 

 

3番円満寺:大地蔵は道後温泉に来た僧行基が楠の大木に彫ったものと伝えられている。今回は逆方向の4番からネオン坂でなく、山道を通ってきたため、もう少しで行き過ぎるところであった。

 

 

2番湯神社:道後温泉の守り神として、大国主命と少彦名命が祀られ、昔から道後の湯が止まると、ここで湯祈祷が行なわれていた。ここは現在隣が大駐車場になっており、結構参拝客がある。

 
 

1番道後温泉本館:これをなくして道後温泉は語れない。今回は後ろから撮影してみましたが、右下に見える更地が現在道路拡張中です。本館の画面左上から下を通って、右上方向へ道路を通し、本館前の道路を最終的には自動車通行不可とする予定。いつも見ていて危ないところが解消されます。

 

 

25番椿湯:伊予国風土記逸文のなかの聖徳太子の碑文がある。道後温泉本館に名前を奪われているが・・・

 

 

12番放生園:ご存知からくり時計と足湯の前、案内所から最も近い所。ちなみに、このからくり時計には3種類の音楽があることを知ってますか?

 

 

17番道後温泉駅:なにも言うことはないでしょう。松山電気鉄道があった頃には2つの駅が並んで建てられて、客の奪い合いをしていたと言います。なお、小節「坊っちゃん」では住田となっており、道後温泉という文字は出てこないので念のため。

 

 

16番子規記念博物館:松山市立の博物館。このあたりにはスタンプが3つ並んでいますが、冊子では結構離れているようになっているので注意!

 

 

15番道後公園:湯築城のあった場所につくられた公園。今年は桜の開花が遅く、全く咲いていません。露天も手持ち無沙汰?それより、今夜の客は花見になったのでしょうか?

 

 

13番湯釜薬師:道後温泉本館の湯釜で、現存する最古のものは 奈良時代の天平勝寶年間(741-757)に造られて以来、 明治27年に新しい湯釜が据え付けられるまで使用されていた。

 

 

14番湯築城跡:かつての河野氏の築いた城。資料館は行ってみると、思ったより小さすぎるし、通り過ぎるには惜しいし・・・

 

 

18番愛媛県民文化会館:丹下健三が造った建造物で、坊っちゃん列車でも車内案内がある。その丹下氏も先日故人になられた。愛媛県ではこの建物を建てるときに灰皿に至るまで自分の思うままに作って、一切県産品を使わず、二度と来るな!状態だったというし、東京都庁舎では鈴木元都知事との関係が表面化して、権威を失ったというし、でも海外では有名だったというし、よく解らん人ですね。

このページのトップへ >>

inserted by FC2 system