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昭 和 59 年 冬

実は私は工学部化学工学科卒業ではあるが、化学は大の苦手である。前年土木工学に転科しようとして失敗した。そして、現在私は工学部を卒業にもかかわらず、純粋な事務職に就職している。いいかげんな考えで高校を卒業してはならないと思う。

時の大学の4年進級条件は必須科目未修得7単位以内、選択科目3年までの半分以上取得であった。当時の私は必須科目未修得8単位、選択科目は卒業必要単位取得済。選択科目に着いては、せめてもの意地であった。必須科目には再受講制度がない。したがって、一度帰って自動車免許を取得したら、5月早々にも再び北海道へ渡って半年間アルバイトをする予定であった。が、事態は急変する。出発2日前になって、必須科目が3科目4単位取得する。4年への進級が決まった。

昭和59年3月5日(月)

当時の日程のメモが見つかったので、それによる。

徳島721(急行阿波1号)853高松925(宇高連絡船)1022宇野1031(3126M)1106岡山1108(442M)1242姫路1245(新快速)1359大阪(小学校時代の友人と再会)大阪1617(798M)1802米原1823(1548M)1905大垣2050(340Mグリーン車泊)

3月6日(火)

440東京/上野654(急行まつしま1号、途中東京震度4により船岡で臨時停車)1203仙台(友人と再会)仙台1343(1537レ)2235青森035(青函連絡船中泊)

←函館駅

3月7日(水)

425函館745(特急北斗3号)1024東室蘭1047(584D)1058母恋(入場券を10枚ほど買った。その後地球岬へ)室蘭1402(特急ライラック13号)1555札幌2120(急行利尻車中泊)

◇特急北斗3号で森駅1分停車で「森のいかめし」が買えるものか、と車掌に相談したら、なんと車掌が買ってきてくれた。(感激!!)

◇急行利尻が札幌〜江別間で時間がかかる理由(何分かは忘れた)は、なんと、札幌を出発してから苗穂貨物駅に停車して機関車を交換するためであった。

◇母恋〜地球岬間は徒歩1時間程度だったと記憶している。

3月8日(木)

617稚内(ノシャップ岬往復)稚内810(宗谷バス)915宗谷岬946(宗谷バス)1051稚内1155(急行天北)1254鬼志別(猿仏海岸往復)鬼志別1813(728D)1855浜頓別(民宿若葉荘1泊2食4300円)

◇上がノシャップ(野寒布岬)から見た風景、流氷ではなく、氷片が漂っている。なお、この日から利尻方面のフェリーが運行再開した。

◇下は浜鬼志別(猿仏海岸)にある世界最大級の海難事故「インディギルカ号遭難慰霊碑」、ちなみに映画「人間の証明」ではこの猿仏原野を中国満州に見立てて撮影されたという。鬼志別から片道6・2キロを往復徒歩で走破した。

◇今回の旅で始めて宿泊した民宿は、1階部分が焼肉店を兼ねており、腹いっぱい食べられた。翌年も泊まったのだが、このときはジンギスカンであった。

3月9日(金)

浜頓別(クッチャロ湖散策)1145(925D)1231北見枝幸1250(宗谷バス)1405雄武1520(828D)1550興部1628(627D)1706紋別(紋別セントラルホテルRC3800円)

◇この日北見枝幸付近でラッセル車事故があって、列車は実際には23分遅れて出発する。だが、バスの方は待っていてくれた。が、そのバスもすぐに遅れを取り戻し、そのうち時間調節停車をしたりした。

◇下は流氷研究所、その下が小山旅館、いずれも渡辺惇一「流氷への旅」に出てくる。

3月10日(土)

紋別(流氷研究所、オホーツク展望台散策)紋別1051(1623D)1128中湧別(普通列車)浜佐呂間(民宿さろまにあん1泊2食3200円)

◇民宿「さろまにあん」は妻も宿泊したことがあるらしい。当時浜佐呂間駅の業務委託もしていた。ここで、初めてユースホステル形式の民宿を経験した。当時独自のサービス路線を貫いた民宿が多かった。「わにの家」「船長の家」「さろまにあん」「アニマの里」それぞれに魅力があり、常連客が多かった。が、湧網線なき今、どうなっているのだろうか。

3月11日(日)

浜佐呂間855(普通列車)1009網走(民宿アニマの里1泊2食2980円)

◇実際には朝から雪で、浜佐呂間には25分遅れ、網走は53分遅れで到着。観光バスは運行され、網走市観光をしてくる。

◇アニマの里は前年、根室でここでヘルパーをしていた人と会って知った。3人の大阪出身者が開業した宿。

3月12日(月)

網走(民宿アニマの里)

◇この日は予備日で、とりあえず斜里まで往復して、北浜をうろついたりしてきた。なお、ここでは風呂を沸かすのに約2時間で、沸かしっぱなしでなければならないという。翌年は近くの銭湯へ行った。銭湯代を出してでも、この方が安いらしい。

3月13日(火)

網走938(532D)1011美幌1025(阿寒バス、美幌峠、屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖)1530阿寒湖畔1650(阿寒バス)1840釧路(釧路市内のビジネスホテル宿泊)

◇見事なまでの観光コース。上が屈斜路湖、下が摩周湖、その下がパンケ沼、さらに下が阿寒湖畔。ただし、初めて来たところだし、この経験が翌年以降の行動に影響を与えたと思う。どっちにしたって、極寒の地だから、野宿するわけにいかないし・・・

◇この日泊まったビジネスホテルの風呂で洗濯をしたのだが、つい自分も風呂に入りながら洗濯をしてしまった。これが原因で、風邪をひくことになる。

3月14日(水)

釧路617(急行ノサップ1号)840根室905(根室交通)950納沙布灯台1215(根室交通)1300根室1345(270D)花咲(根室車石、帰りはバス)根室(274D)1741茶内(駅前旅館泊、1泊2食付4000円)

◇納沙布岬はこの時期観光客が多く、色々な施設もあり、2時間程度いても、暇ではなかった。

◇根室付近では、下のような形状の石が多い。学術的にいうときりがないが、その中でもこの車石が最大のものである。

◇この晩泊まった旅館は、まさに駅前旅館。食事にはいかにも貴重そうに「みかん」が出てくる。私、愛媛県人なんですけど・・・暖房は自分で薪をくべる方式のもので、非常に楽しかったが、自分が寝てしまったらどうするの?ということで、翌日風邪をひいてしまったのであった。

3月15日(木)

茶内821(265D)落石(落石岬まで片道約8キロ)落石(普通列車)浜中(バス)暮帰別(民宿きりたっぷ里、1泊2食3300円)

◇この付近の断崖絶壁を見ると、北海道の果てに来たような気がする。ちなみに、この落石岬で知り合った大学4人組の1人とはいまだに年賀状のやり取りがある。写真からは判別できないから、多分このときシャッターを切った人なのだろう。ただ、「利尻ではお世話になりました」という年賀状がやってきた。はて?

3月16日(金)

浜中(民宿きりたっぷ里)

◇この日は午前中はオーナーが運転する車で「函転涙岬ツアー」、午後は徒歩で「霧多布岬ツアー」へ行ってきた。午後は10キロ以上は歩いたはず。灯台が見え始めてからが遠かった。

◇ちなみに、民宿きりたっぷ里では、連泊すると、サーモンステーキとイクラ丼がでてくる。これを目当てに、翌年は連泊、他の宿、連泊をした。

3月17日(土)

浜中(普通列車)根室(普通列車)厚床(普通列車)中標津(普通列車)根室標津(民宿トドワラ泊)

◇この日は朝から大雪。浜中までのバスが途中で故障したが、なんとか間に合う。下は厚床駅。

3月18日(日)

根室標津(民宿トドワラ泊)

◇本当は昨年泊まって冬場は安かった川湯温泉の第一ホテルの宿泊予定であったが、吹雪で交通機関が動かず。

◇というものの、昼食が出ないので、150メートルほど離れた店に買いに行くが、ブリザードの中、片道30分近くかかり、無謀さに帰ってから宿の人に叱られた。

3月19日(月)

宿(送迎)白鳥台(バス)根室標津1215(バス)1245トドワラ1345(バス)1415根室標津1608(330D)釧路(急行まりも4号、車中泊)

◇上が白鳥台、後でプロのカメラマンが見て、構図が良いといってくださった。

◇下はトドワラ

3月20日(火)

625札幌830(急行ニセコ)1421函館040(青函連絡船、船中泊)

◇上が函館の街並み、下は函館立待岬(当時の歌謡曲にも出てきた)

3月21日(水)

430青森(特急白鳥2号)1819新大阪1848(特急ひかり141号)2050三原2200(三原今治国道フェリー)2345今治

2004.02.01執筆

 
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