松山句碑めぐり(素鵞)

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【01】枝松4丁目 多聞院(素鵞)

【01】倉のひまより見ゆ春の山夕月が(野村朱燐洞)

2005年6月4日行軍A(俳句の里・城東(4)、旧城南(2))

野 村朱燐洞は、本名野村守隣(もりちか)。この多聞院は野村家の菩提寺という。種田山頭火も野村朱燐洞の墓を訪ねて、松山の地にやってきたと言うが、野村朱 燐洞の句もまた、自由詩である。種田山頭火は俳句の中で、自由詩に惹かれ、そして松山の町にやってきて、最期の時を過ごした。彼にとっては満足な最期だっ たのだろうか。
この多聞院は、元々は小坂2丁目にあったが、松山市道のバイパス建設により用地買収にかかり、少し南にある拓南中学の前に引っ越してきた。その隣に私がよく行く理容院と鍼灸院がある。

【02】日之出町 石手川公園素鵞

【02】新場処や紙つきやめばなく水鶏(正岡子規)

【03】そゝろ来て橋あちこちと夏の月(五百木飄亭)

2005年5月28日行軍A(俳句の里・城東(3)、旧城南(1))

この碑は、旧国道11号(現県道)の南側で、石手川をはさんで、城下コースの金刀比羅神社の対面にある。
江戸時代、このあたりは素鵞村小坂といい、高知や周桑方面から紙漉職人を呼んでいたという。このことから詠まれた句らしい。近くにある小学校は素鵞小である。一方、五百木飄亭に関しては正岡子規との親交が厚かったことと、彼の生家がこの場所の西方にあったことからという。

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