松山句碑めぐり(久枝)

愛媛の観光 > 目次 >  松山句碑めぐり
 
 
【01】安城寺町 久枝小学校久枝

【01】雨だりにくみほし軒の石みてもかたき業して思ひすてめや(明治天皇)

2009年10月2日行軍D

かずまるの出身小学校は久枝小学校からの分離(一部他校との統合あり)で、平成に設立され、かずまる在学時に創立20周年を迎えた。が、一方の久枝小学校は 同時に創立120周年だった。だから、明治天皇の句碑があるのもうなづける。というより、創立100周年に分離したわけか。



【02】よものうみみなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらん(明治天皇)

2009年10月2日行軍D

ついに「禁断の学校出没!」なのだが、実はこの日は久枝地区の運動会。我が久万ノ台地区の出場者が少なくて、ぜひ出てほしいと依頼を受けたのだ。小学校へ無条件で立ち入れるのであれば、と快諾。ちなみに、当然ながら翌年以降出場していない。

【02】高木町 高音寺久枝

【03】足弱に施薬願わん秋の寺(森田雷死久)

【04】念ずれば花ひらく(坂村眞民)

2005年7月18日行軍B

そ れぞれに松山の句碑めぐりをにぎわせる人々が並んだ。森田雷死久は常福寺の碑を見るまでもなく、松山市平田の出身だし、森白象については、梅津寺パークの 中にもある。ただ、坂村眞民の「二度とない人生だから・・・」は確かにそうだ!と納得はするのだが、松山市内のいたるところに、それ どころかこの前は今治市内でも見たぞ。句碑の内容は、確かにそうだ!とは思うのだが、同じ句の乱立というのはどうかと・・・


【05】倖せは静なるものはらの花(森白象)

2005年7月18日行軍B

森白象は明治32年(1899)愛媛県生、僧名を寛紹といい、 昭和55年(1980)高野山真言宗管長・金剛峯寺第406世座主に就任。 高浜虚子を俳句の師とし、ホトトギス同人でもあったという。

このペー ジのトップへ >>

inserted by FC2 system